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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)バスケ経歴/大学や指導法は?井手口監督と関係?身長プロフィール

Bリーグが発足し、更に盛り上がっているバスケットボール界。

そのバスケットボール界を引っ張ている選手の一人が富樫勇樹選手です。

実は富樫勇樹選手の父親の富樫英樹監督は、富樫勇樹選手が有名になる前は富樫英樹監督のほうが有名で名の知れた指導者でもありました。

そこでこの記事では「富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)バスケ経歴/大学や指導法は?井手口監督と関係?身長プロフィール」と題し、ご紹介します。

 

この記事の内容

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)のバスケ経歴

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の大学

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)の関係

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の身長プロフィール

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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)のバスケ経歴

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)のバスケ経歴についてご紹介します。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)のバスケ経歴

大学卒業後、中学教員として長岡市立江陽中学校の女子バスケットボール部の指導

名将、中村和雄氏(元日本女子代表HC、当時共同石油(現JX))に出合う

1996年、豊栄市立木崎中学校を率いて全国大会で準優勝

新発田市立本丸中学校のバスケットボール監督を16年間務め、全国大会へ10度出場。日本一を2回(2008年,2010年)、ベスト4を3回(2000年,2006年,2007年)

2011年、U-16日本代表ヘッドコーチ

2014年、開学の開志国際高校のバスケットボール部の監督に就任

2016年、インターハイベスト8

2018年、インターハイ優勝に導く

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は大学を卒業後、長岡市の女子バスケットボール部の指導をします。

初めての女子バスケットボールの指導で戸惑いもあり、練習方法は大学に自分が練習していたことをさせていたと振り返っています。

当時の富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)はその辺にいるイチ指導者で、新潟でトップになって全国大会に出場できればいいかなと思って指導をしていました。

そんなある時、元日本女子代表ヘッドコーチで、当時共同石油(現JX)で指導していた名将、中村和雄氏に出合います。

その時は、依頼して新潟まで講習会に足を運んで下さったそうですが、その講習会の打ち上げの席で「目標は?」と聞かれたそうです。

上に書いたように「全国出場です」と当時の富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は答えたら、

中村和雄氏(元日本女子代表HC、当時共同石油(現JX))は、「違う、目標は日本一以外ないんだよ」と返ってきたそうです。

やるのであればトップを目指さないとという事でしょうね。

目標が何となくになっていた富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は、その日から意識や考え方が全く変わりました。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)曰く、「不思議なことに指導者の意識や考えが変わると生徒たちも変わる」と話していました。

約3年後の1996年には、豊栄市立木崎中学校を率いて全国大会で準優勝を成し遂げました。

そして、新発田市立本丸中学校に移り、男子バスケットボール部の監督を16年務め、全国大会へ10度出場します。

そのうち、日本一を2回(2008年,2010年)、ベスト4を3回(2000年,2006年,2007年)という驚異の成績を打ち立てます。

特に初めて全中優勝を果たした2008年は、地元新潟の全国大会開催で、且つ息子さんの富樫勇樹選手が新発田市立本丸中学校の3年生でした。

前年の2007年には全国3位を果たし、そのメンバーが残っての大会だったので、大本命だったそうです。

その2年後の2010年にも2度目の全国制覇を成し遂げていますが、この時は優勝は厳しいチームだったそうですが、ある指導法によって優勝することができました。

その指導法については、後にご紹介します。

2011年には、U‐16日本代表ヘッドコーチを務め、アジア3位に貢献しました。

2014年には、高校のバスケットボール指導者として、開学したばかり、創部したばかりの開志国際高校のバスケットボール部の監督に就任します。

そして僅か2年後の2016年、インターハイベスト8、更に2年後の2018年には、インターハイ優勝に導きました。

優秀な選手が開志国際高校に集まってくると思いますが、それにしても驚異的な早さですね。

 

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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の高校や大学

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の高校や大学についてご紹介します。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の高校や大学

高校:新潟県立村上高等学校

大学:日本体育大学

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の出身高校は新潟県立村上高等学校です。

その後、体育の名門校、日本体育大学へ進学します。

大学の時は3軍だったそうで、一生バスケを続けていこうと思い、その時からバスケットボールの指導者の道を考えていました。

中学教員になったのもバスケットボールを続ける為だったそうです。

バスケットボール目的に中学教員になった富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)ですが、多くの出会いや様々な経験をしていくうちに指導法や考え方が変わっていき最終的にはバスケットボールを通じて人を育てていくという考えに変わっていったそうです。

 

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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法についてご紹介します。

経歴でも触れたように、富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の最初に指導したのは女子バスケットボール部でした。

その当時は、富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)が日本体育大学時代にしていた練習をしていましたが、徐々に意識を変え日本一を獲得するにはどのような練習方法をすればよいのかという風に考え始めます。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は指導者のはじめの方から全国大会で初めて優勝した2008年頃までは基本的にトップダウンの指導方法でした。

つまし富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)が指示し、生徒たちがそれに従うというものでした。

しかし2008年の優勝メンバーはタレント揃いと言いますか、意識が高いメンバーが多く自身でどうやれば勝てるのかという事を常に考えている選手が多かったそうです。

そこで、富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は、「子供に考えさせる」という事を意識します。

もちろん最低限の約束事は決めているそうですが、オフェンスに関しては基本的に生徒たちに任せるといった方法だったようです。

主体は生徒/子供たちで富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は導くという方法ですね。

富樫英樹監督の息子さんの富樫勇樹選手も、同じように自分で考える大切さを語っています。

富樫勇樹選手は、アメリカの高校で過ごしていますが、その時にクリエイティブな考えを実現が求められると振り返っていました。

世界と日本のバスケットの差の一つでもあり、日本のバスケット界の課題でもあるかのように言っていましたので、幼少期からトップダウンで練習するのではなく、常に自身で考え動くことが上達とチーム、日本のバスケット界の発展にも繋がるのではと思います。

実際に富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法についてまとめた動画があります。

↓こちらは一部を抜粋した紹介動画です。

 

1時間以上の動画が盛り込まれたものがこちらです。↓

こちらの動画「開志国際高校 富樫英樹流 バスケットボールコーチメソッド~創部5年で日本一を達成した練習法~」には、富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法も含め、チームの約束事となり得る内容も含まれています。

動画の内容項目

■イントロダクション

■1対1のディフェンス練習
・ノーマル
・ステップバック
・スティック

■ピック&ロールのディフェンス
・ブルー
・ダブルチーム
・アンダー
・ローテーション

■4対3から4対4になるまでのディフェンス
・ディフェンスが1人遅れてくる場合
・ポイントガードが遅れてくる場合

■4対4のハリーバック・マッチアップのディフェンス
・マークマンが近くにいない場合
・マークマンをスイッチした場合

■3人の合わせプレー
・ウィークサイドドライブ時の合わせ
・ストロングサイドドライブ時の合わせ
・フラッシュポストを通して3Pを打たせる
・ハンドオフからピック&ロール
・バックカット
・バックカットが出来なかった場合(インサイドプレー)
・バックカットが出来なかった場合(ポップアウト)

■ファストブレイク
・基本のパターン
・3Pを狙う場合
・インサイドプレー
・ハイロープレー
・インサイドの選手以外がリバウンドをとった場合
・遅れてきた選手がシューターだった場合
・1往復(プレーヤー間で判断しプレーする)

■ブレイクからのセットプレー

■セットプレー
・リバウンドをとった選手が遅れてきた場合
・フラッシュポストに来たところからの動きの説明
・相手チームのリズムがまだ出来ていない時のプレー
・ディフェンスをつけた場合

■実践練習 5対5

■バスケットボールに必要なトレーニング
・ストレッチ
・体幹トレーニング
・スクワット
・ステップワーク

引用元:ジャパンライム

 

その他にも富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の指導法が本にまとめられた「バスケットボール―チーム戦術の基本と実践」も発刊されています。

 

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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)の関係

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)の関係についてご紹介します。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)の関係

日本体育大学時代の同級生

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)の関係は、日本体育大学時代の同級生です。

井出口監督は福岡第一高校の男子バスケットボール部として1994年から指導し、創部僅か5年で全国大会出場、10年で全国制覇を成し遂げた名将です。

2014年から富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)は、開志国際高校のバスケットボール部指導者をされていますから、お互い高校生を率いて2019年インターハイの準決勝で対戦しています。

大学の同級生でありながら、指導者として全国大会で対戦するのは凄いですね。

また、富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と井手口監督(福岡第一)は、U-16日本代表のコーチとして一緒に世界で戦っています。

対戦相手のライバルでありながら、時には日本代表として仲間として戦い、日本バスケット界を盛り上げる素敵な関係性ですね。

 

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富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の身長プロフィール

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の身長プロフィールについてご紹介します。

富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)の身長プロフィール

名前:富樫英樹

読み方:とがし・ひでき

出身:新潟県村上市

生年月日:1962年5月19日

年齢:59歳(2021年7月時点)

職業:開志国際高等学校バスケットボール部総監督

身長:170cm前後(推定)

 

富樫英樹監督の息子さん、富樫勇樹選手も同じくらいの身長で168cmなので身長の低い子がどのようにプレーするかという事を日常的に良く考えていたのかもしれません。

小さい選手が大きい選手に勝つためのバスケットボール・スキル

 

 

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まとめ

富樫勇樹の父親である富樫英樹監督について、バスケ経歴/大学や指導法、福岡第一高校の井手口監督と関係、そして身長プロフィールをご紹介しました。

今後、毎年のように全国大会の上位に入ってくる開志国際高校。

2021年の春にはアメリカの大学も注目している大型選手が、開志国際高校へ加入し、ますます注目が集まっています。

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今後の富樫英樹監督(富樫勇樹の父親)と開志国際高校から目が離せません。

 

 

 

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