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道脇裕(天才発明家)NejiLaw社長の経歴は?父母(両親),祖父がヤバい!プロフェッショナル

2000年の歴史を持つねじに、「緩まないねじ」で革命を起こした道脇裕(みちわき ひろし)氏。

道脇裕氏(天才発明家)は、小学校を自主休学し、その後はまともに学校に通っていません。

ご自身のその時の興味あることに没頭したことで、世界に影響を与える天才発明家が誕生したようです。

一体、道脇裕氏(天才発明家)はどんなことに没頭し、どんな人生を歩んできたのでしょうか。

この記事では「道脇裕(天才発明家)NejiLaw社長の経歴は?父母(両親),祖父がヤバい!プロフェッショナル」と題し、ご紹介します。

この記事の内容

道脇裕(天才発明家)NejiLaw社長の経歴

道脇裕(天才発明家)の両親(父母),祖父がヤバい!

道脇裕(天才発明家)がプロフェッショナルやカンブリア宮殿に出演

 

 

道脇裕(天才発明家)NejiLaw社長の経歴

道脇裕氏(天才発明家)NejiLaw社長の経歴についてご紹介します。

道脇裕氏(天才発明家)NejiLaw社長の経歴

出生時、首にへその緒が巻き付き呼吸できず、蘇生処置で一命をとりとめる

小学校に入ると、帰りに捨ててある電化製品などを持って帰り分解する

母親の研究室の実験器具で遊び発明が習慣化

家事代行サービスの先駆けのプチビジネスを始める

1987年(10歳)日本の教育システムに疑問を感じ、自主休学

1988年(11歳)アマチュア無線の国家試験に合格し免許を取得

1989年(12歳)ビラ配りや新聞配達をする

1990年(13歳)広い海に出てみたいという思い、漁師を1シーズンする

1991年(14歳)年齢をサバ読み、とび職をする

1992年(15歳)1週間で5教科を独学し、都立の工業高校へ合格

1993年(16歳)ほとんど学校に通わず、1年間で退学

1994年(17歳)ハウスクリーニング事業を立ち上げるも体を壊す

1995年(18歳)3か月の猛勉強の末、大学受験資格検定(大検)に合格

1996年(19歳)車の事故を3度も経験、緩まないネジの構想を思いつく

1997年(20歳)アメリカ大学へ留学、5日で大学を辞め、半年間アメリカを回り帰国

会社の顧問や特許事務所の仕事を行う

やりたい研究の費用が大きくなり、研究内容を物理や化学から数学へ変える

6年間くらい部屋にこもり、数学の自分が気になることを研究

顧問をしていた会社の提案で、書き出した200個のアイディアから「緩まないネジ」の商品化を目指す

2007年、緩まないネジ「L/Rネジ」第1号試作品完成

2009年、NejiLaw(ネジロウ)設立

2010年、ネジの緩み性能試験で試験機械を壊してしまう

開発費捻出のため、各コンテスト等に出場し、賞を総なめ

 

受賞歴

2009年度 MIT(マサチューセッツ工科大学)-EF主催
ビジネスプランコンテスト 最優秀賞を含む3賞を受賞
2010年度 新技術開発財団助成事業に採択
(主催:財団法人新技術開発財団)
2011年度 かわさき起業家大賞 大賞(=川崎市長賞)を含む6賞を受賞
かわさき起業家大賞 受賞
日本起業家協会賞 受賞
りそな神奈川応援賞 受賞
相模原産業創造センター賞 受賞(第1号受賞)
大和企業投資賞 受賞
会場応援賞 受賞
(主催:財団法人川崎市産業振興財団)
2011年度 東京都ベンチャー技術大賞 大賞(=東京都知事賞)受賞
(主催:東京都産業労働局)
2011年度 グッドデザイン賞 金賞(=経済産業大臣賞)受賞
(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)
2011年度 九都県市きらりと光る産業技術賞 受賞
2012年度 戦略的基盤技術高度化支援事業(関東経産局)採択
2013年度 グローバルニッチトップ助成事業に採択
(公益財団法人東京都中小企業振興公社、東京都知的財産総合センター)
2015年 第14回 日本イノベーター大賞(日経BP社主催)優秀賞受賞
2019年 第7回 技術経営・イノベーション賞・会長賞を受賞

引用元:NejiLaw


道脇裕氏(天才発明家)は、出生時のことが原因なのか難聴で文字が苦手だったそうです。

その後数年の治療により、聴力が徐々に聞こえるようになっています。

しかし幼少期は難聴で文字が読めなかったため、母親の研究室の図鑑や本の挿絵を穴が開くほど眺めていたと振り返っています。

道脇裕氏(天才発明家)は、母親の研究室の実験器具で遊ぶように、発明や研究に没頭したそうです。

なによりも楽しかったそうで、時計や簡単なロボットなどを自作したり、水を電気分解したり、化学実験もたくさんしたそうです。

あまりに楽しくて発明や研究の資金を稼ぐため、「肉体労働株式会社」と名付け、家事代行サービスの先駆けのプチビジネスを始めます。

必要資材を調達するための資金は、母に出資してもらい株主になってもらったり、お金を稼ぎ、それが消費に回ったりすることで、社会の仕組みを理解そうです。

一方、小学校については、同じことを同時に習う学校を「量産型ロボット生産ライン」と名付けてます。

このままでは自分も量産ロボットの一体になってしまうのではと思い、自分はこの「生産ライン」から降りる決意をします。

母親には、「勉強は決して嫌いではないけれど、今は勉強する時ではないから、今はこの道から降りる。でも、いつか必ず戻ってくるのでそのときまで見守っていてほしい」と宣言したとか。

道脇裕氏(天才発明家)は、小学校5年生の時に自主休学しています。

 

小学校に行かなくなった道脇裕氏(天才発明家)は、自分の気になることに没頭します。

ラジコンがリモコンで遠隔で操作でどうやって動くのか気になり、親にラジコンを買ってもらい、ラジコンを分解。

分解し、無線の原理と法規を勉強すると、11歳のとき、アマチュア無線の国家試験に合格し免許を取得します。

しかし道脇裕氏(天才発明家)は、家事代行ビジネスや研究室にこもっていては分からない外の世界があることに気が付き、もっとたくさんの世界を見たいと思うようになり、ビラ配りや新聞配達を始ます。

中学生になると、伊豆下田市にいる知り合いのところに行き、見習いの漁師として働き始めます。

朝が早い上、船上での作業は相当きつかったそうですが、生き物や自然の力に触れるなかで多くのことを学ぶことが出来たと振り返っています。

漁師を1シーズン終えると、次は14歳を16歳とサバ読みとび職になります。

ある日社長に「お前サボ読んでるだろ、20歳だろ」と逆に言われるほど、道脇裕氏(天才発明家)は、落ち着いていて物怖じせず発言するタイプだったようです。

中学3年生の後半頃、母親に「もし高校に行きたいと思っても、試験を受けとかないと行くことは出来ないよ」と言われます。

道脇裕氏(天才発明家)は、高校受験を決めるも気づいたら、受験日の一週間前で独学で5教科を勉強し、見事合格。

しかし高校へ入学し、通うもやっぱり違うと思い学校に行かなくなります。

高校1年生が終わるころ、先生に呼び出され、「学校を辞めるのか続けるのか」問われ、定期券や学食が安いため、「籍だけ残してほしい」とお願いします。

そんな希望も裏腹に、後日の会議で退学が決定したことを受け、道脇裕氏(天才発明家)の高校生活が終わります。

退学後、ハウスクリーニングを行なう事業を立ち上げ、順調でしたが、椎間板ヘルニアになり体を使った仕事が出来なくなります。

体ではなく頭を使って生きていかなければと思うも、学校に通っていない為、一般常識と教養がなく、自分はバカだと気づくます。

幼少期から疑問だった「自分は一体なんなのか」「なんのために生きているのか」という答えを出すためには、バカを克服しないといけないと思い勉強に力を入れます。

自分に足りないこと、自分のばかさとその対策案や学ぶべき項目などをとりあえず全て紙に書き出してみると、自分が行かなかった義務教育、教育カリキュラムそのものであることに気づます。

克服するためにはやるしかないので、一つの目安として大学受験資格検定(大検)の受検を決意。

気づけば受験日まで3か月、独学で戦略を練って効率的に勉強することで見事11科目合格します。

大学受験資格検定(大検)に合格したものの、日本の大学には行く気なく、行くなら海外の大学かなと思っていたそうです。

19歳になった道脇裕氏(天才発明家)は、車を運転しているとタイヤが外れたり、ハンドルが外れたり、高速道路で大事故を起こしたりと1年間で3回も事故を起こしたそうです。

その原因がねじだったこともあり、緩まないねじがあれば事故は起こらずに済んだのにと「緩まないねじ」の構想を思いつきます。

しばらくしたある日、昔から仲良くしてくれる予備校講師の知り合いから、急に連絡がはいります。

「アメリカの大学に行く気はある?全額出すから行ってきなよ。」

凄いですよね。

この方は資産家ではないそうですが、20歳の若者に約2000万円もの大金を出して、アメリカ大学に行っておいでと言える心意気。

それも返済は不要だと。

道脇裕氏(天才発明家)は、その提案がとても嬉しかったそうですが、4年間大学を通えるという自信もなく、結局1/4の500万円を支援してもらい、アメリカコロラド州の大学へ留学します。

しかし、大学の講義はつまらなく5日だけ辞めてしまいます。

その後は、アメリカでしかできないことをやろうと色々回って、ビザが切れる為半年で日本に帰国します。

帰国後は、以前から務めていた会社の顧問や特許事務所の仕事をやりながら、自分の興味ある研究を続けます。

しかし興味があることを研究する為の研究費が大きくなり、研究内容をシフトチェンジします。

これまで物理や化学といった分野の研究をしていましたが、研究費のかからない紙とペンだけで研究できる数学分野に変えます。

そこから約6年間は部屋に籠りっきりでひたすら数学の研究をします。

そんな籠りっきりの生活から解放されたのが、顧問を務めていた会社の提案で、どんなアイディアを持っているのか見える化します。

すると200個ものアイディアがリストとして現れます。

その後、提案者とその知り合いが集まり、リストの中から低コストで影響力の強い「緩まないねじ」の商品化をすることにしました。

以降は多くの専門家と出会い、2007年に緩まないネジ「L/Rネジ」第1号試作品完成。

2009年には道脇裕氏(天才発明家)自身が代表取締役社長を務める会社NejiLaw(ネジロウ)設立。

翌年には、ネジの緩み性能試験で試験機械を壊してしまうというエピソードで一躍有名になります。

更に開発費捻出のため、各コンテスト等に出場し、賞を総なめし知名度が海外まで知れ渡ることになり、今後のねじを概念を大きく変えるねじとして期待されています。


 

 

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道脇裕(天才発明家)の父母(両親),祖父がヤバい!

道脇裕氏(天才発明家)の父母(両親),祖父がヤバいのでご紹介します。

道脇裕氏(天才発明家)の父母(両親),祖父

父:大手化学系企業の役員、研究所所長

母:大学教授、物理学者

祖父:数学者、前橋工科大学長、群馬大学名誉教授


 

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道脇裕(天才発明家)がプロフェッショナルやカンブリア宮殿に出演

道脇裕氏(天才発明家)がプロフェッショナルやカンブリア宮殿などメディアに出演されています。

道脇裕氏(天才発明家)のメディアに出演

FMラジオ J-wave「Make IT 21」

BS-TBS「週刊報道 Biz Street」

BSジャパン「日経プラス10」

NHK 総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」

NHK Eテレ「DESIGN TALKS Plus(デザイン・トークス+)」

テレビ東京系列「カンブリア宮殿」

 

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まとめ

天才発明家で知られるNejiLaw社長の道脇裕氏について、経歴、父母(両親)や祖父、プロフェッショナルやカンブリア宮殿などの出演メディアをご紹介しました。

ご自身のその時その時の興味あることを突き詰めたこそ、天才発明家が生まれたのではと思いました。

そして出会うべきタイミングで素敵な方と要所要所で出会われ、刺激を受けている印象を受けました。

日本ならず、世界を変えてしまう道脇裕氏(天才発明家)の今後も目が離せません。

 

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