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中川政七商店13代目社長(中川淳会長)経歴や年収は?交代の理由は?奈良クラブ?

日本の伝統工芸品を世に広める中川政七商店。

中川政七商店で初めて知った商品も多くあるのではないでしょうか。

その中川政七商店の事業拡大に担った張本人が中川政七商店13代目社長(中川淳会長)です。

どのようにして中川政七商店を大きくし、どのような経歴をもっているのでしょう。

そこでこの記事では「中川政七商店13代目社長(中川淳会長)経歴や年収は?交代の理由は?奈良クラブ?」と題し、ご紹介します。

 

この記事の内容

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の経歴

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が業績10倍でも社長交代した理由

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)と奈良クラブ

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)のプロフィール

 

 

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の経歴

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の経歴についてご紹介します。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の経歴

2000年、京都大学法学部を卒業後、富士通株式会社に入社

2002年、株式会社中川政七商店へ転職

2008年、中川政七商店の13代目社長に就任

2016年、「中川政七」を襲名

2018年、中川政七商店の会長に就任

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は、2000年に京都大学の法学部を卒業し、富士通株式会社へ入社します。

東京大学に次ぐ日本の大学ナンバー2と言われる京都大学を卒業とは凄いですね。

そして、現在はITと通信事業でイケイケの富士通に当時入社したのも、中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の先見の明が伺えます。

富士通株式会社では営業職として2年間勤務し、家業の株式会社中川政七商店へ転職します。

なぜ転職したのか気になりますが、中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は転職について以下のように言っています。

富士通を辞めて、株式会社中川政七商店へ転職した理由

大企業は10年くらい経たないと次のステップに行けない。

そのペースに合わず、家業の奈良で工芸品の製造と卸を営む株式会社中川政七商店へ転職しました。

優秀な故に自身の評価や昇進などに納得できない出来事が多かったのかもしれませんね。

家業の株式会社中川政七商店へ転職した中川政七商店13代目社長(中川淳会長)ですが、当時は全く伝統工芸についての知識はなかったそうです。

その知識がなかったからこそ良かったとの中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は振り返っています。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が入社した当時の株式会社中川政七商店は、生産管理という概念が全くなかったそうです。

そのため売れているが製造の難しい商品の補充は遅く、売れていない製造しやすい商品は補充が速い状態だったため、売れる商品の在庫はなく、売れない商品の在庫が増えるという事が多くあったそうです。

それは、株式会社中川政七商店だけの話ではなく伝統工芸品の取引先でも同じような状態だったそうです。

そもそも田舎の小さな会社で働く人のやる気もあまり高く、問題意識や改善意識もなかった為、そこの改革に時間がかかったとも話しています。

結局改善し要約まともに仕事、管理が出来るようになったのは、2,3年後でした。

改革を働きかけるも、辞めていく人が続出し、穴埋めの人員を募集してもなかなか集まらず、人を採れる会社にならなきゃいけないと強く思ったそうです。

奈良の中小企業でも優秀な人材を確保するためには、ブランド力を高める事ではと、中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は思います。

ブランド力は販売にも必要ですが、採用にも必ず必要だと、その当時強く感じました。

まずは働く人の意識を高めるために、創業1716年の300年以上もの歴史をもつ株式会社中川政七商店ですが、社是や社訓もなかったそうで、そのようなビジョンを作ろうと奮闘したそうです。

そしてできたのが、「こころば」とビジョン「日本の工芸を元気にする!」でした。

浸透するには5年ほど要したそうですが、社員全員で共有出来てからは、数字もついてきました。

「遊 中川」「粋更 kisara」「中川政七商店」などブランドを展開し、全国での知名度もあがり、出店店舗も高級志向の方が訪れる場所に構えることで、ブランドを高めることにも成功。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が入社した当時の株式会社中川政七商店の売り上げマ約4億だったのに対し、2020年には約50億と、約10倍以上にもなりました。

 

 

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中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収についてご紹介します。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収は公表されていません。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収について公開されていませんが、株式会社中川政七商店の平均的な年収が300~400万円のようです。

更に株式会社中川政七商店と同じような卸や小売り業を行っている売上が約50億円の会社規模の役員の報酬を調べてみると、おおよそ1000万円から4000万円くらいのようです。

おそらく中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の年収も数千万円だと思いますが、個人的に社員や会社、取引先に還元されている方だと思うので、少し年収が低めの設定なのかもしれません。

 

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中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が業績10倍でも社長交代した理由

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が業績10倍でも社長交代した理由についてご紹介ます。

2018年に中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は、社長を退任して会長に就任し、社長を交代しています。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)と社長交代した中川政七商店14代目社長は、千石あや氏です。

300年以上の歴史を誇る株式会社中川政七商店において初めて、創業家ではない人物が中川政七商店14代目社長に就任しました。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は、株式会社中川政七商店へ入社した時から14代目は創業家の中川家ではない人と決めていたそうです。

「中川商店」から脱却したかったそうです。

中小企業に借金がある際、銀行からお金を借りるためには社長が個人保証をしないといけません。

つまり借金があると自動的に同族で代を継承していくしかありません。

中川政七商店の社長を創業家以外の人に交代できるという事は、個人保証のいらない経営状態であり、財務的に良好であること。

中川家の会社ではなく、「ちゃんとした会社にしたい」と思っていたそうです。

入社時からの中川政七商店13代目社長(中川淳会長)の思いが、しっかりと実現化されたのがこの社長交代だったようですね。

 

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中川政七商店13代目社長(中川淳会長)と奈良クラブ

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)と奈良クラブについてご紹介します。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)と奈良クラブ

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は、2018年秋に株式会社奈良クラブの社長に就任しています。

奈良クラブはJBL(Jリーグの下部組織)に所属するサッカークラブチームです。

もともと中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は、「日本の工芸を元気にする!」と同時に「奈良も元気にしたい」と思っていたそうです。

そこで、中川政七商店13代目社長(中川淳会長)が注目したのが、奈良クラブでした。

知人を通じて2010年に奈良クラブを知り、2011年からブランドマネージャーとして奈良クラブに参加しています。

当時は本業の株式会社中川政七商店が忙しく、あまり参画は出来なかったそうですが、それでも奈良クラブのユニフォームのデザインに携わっています。

そして2018年に中川政七商店13代目社長を退いた後は、株式会社奈良クラブの社長に就任しています。

しかし2019年暮れに奈良クラブの入場観客数の水増し問題が発覚し、中川政七商店13代目社長(中川淳会長)は辞任をしています。

 

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中川政七商店13代目社長(中川淳会長)のプロフィール

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)のプロフィールについてご紹介します。

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)のプロフィール

名前:中川 淳

読み方:なかがわ じゅん

出身地:奈良県

生年月日:1974年

年齢:47歳(2021年時点)

学歴:京都大学法学部

職業:中川政七商店会長

 

 

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まとめ

中川政七商店13代目社長(中川淳会長)について、経歴や年収、交代の理由と奈良クラブ、そしてプロフィールをご紹介しました。

日本の伝統工芸品を守る中川政七商店と13代目社長の中川政七商店13代目社長の中川淳会長の今後の動向に注目ですね。

 

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