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中島信也(東北新社社長)の学歴と経歴は?とんねるずと関係?CMと映画作品についても

総務省への接待問題でNTTや東北新社が取り上げられていますね。

特に東北新社には菅首相の息子さん、菅 正剛(せいごう)氏が総務省に接待をして注目を集めています。

その問題が取り上げられたためか、東北新社の社長が中島信也(なかじま しんや)氏へと変わりました。

調べてみるとCMや映画などクリエーターとして凄い方で、多方面で活躍する方とも以外な関係があったので、ご紹介します。

 

この記事の内容

中島信也(東北新社社長)の学歴

中島信也(東北新社社長)が東北新社へ就職したきっかけ

中島信也社長(東北新社)の経歴

中島信也(東北新社社長)のCMや映画作品

中島信也(東北新社社長)はとんねるずと関係?みうらじゅんも?

中島信也社長(東北新社)のプロフィール

 

中島信也(東北新社社長)の学歴

中島信也(東北新社社長)氏の学歴についてご紹介します。

学歴

  • 大阪府立豊中高等学校 (偏差値68)
  • 武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科(偏差値55)

中島信也(東北新社社長)氏が卒業した高校は大阪府立豊中高等学校で、名前の通り、大阪府豊中市にある公立の共学校です。

橋下徹氏が大阪府知事に在任中の頃、難関大学への進学に力を入れる「進学指導特色校」制度を2011年度から実施しています。

府内10校のうちの1つとして大阪府立豊中高等学校が選ばれています。

大阪府ではトップクラスの高校のようで、ほとんどの卒業生が進学をするようで、2020年度にはほぼ全員が大学進学を希望するほどのようです。

進学先として京都大学や大阪大学、神戸大学を中心とした国公立大学、関関同立の私立大学が多いようです。

特に関関同立の割合が高い印象です。

中島信也(東北新社社長)氏は小学校、中学校と成績が良かったらしく、大阪府でもトップクラスの大阪府立豊中高等学校に入ったそうです。

しかし、高校入学後は勉強の仕方を身に着けてこなかったことが災いし、落ちこぼれ学生になってしまいました。

大学進学をあきらめかけた時、中島信也(東北新社社長)氏のお父様が「中島家には絵の際のがあるから美大を受けてみたらどうだ」と勧められたそうです。

そして中島信也(東北新社社長)氏は、大阪府立豊中高等学校を卒業し、一浪した後、武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科へ入学しました。

第一志望は東京藝術大学だったそうですが、そこに落ちたので、武蔵野美術大学に進んだそうです。

同じクラス40人ほとんどが、「東京藝術大学に落ちたから、武蔵野美術大学に来た」と話していたそうです。

武蔵野美術大学で、中島信也(東北新社社長)氏は芸術祭の実行委員長をやるなど硬派な学生だったようです。

中島信也(東北新社社長)氏はCM敏腕ディレクターとして広告業界では有名ですが、大学当時からプロ顔負けの写真を撮ってきていたと大学の同級生は言っています。

大学の授業で、街に繰り出し一般人のポートレート写真を撮影してくる授業があったそうです。

1週間で36枚撮りのフィルムを60本も撮り、教授に評価してもらうという内容で、中島信也(東北新社社長)氏は一軒家の前で家族が笑顔で映っている集合写真を撮ったそうです。

そのタイトルが「お馬がくれたマイホーム 日本中央競馬会」です。

それを聞いただけでなんかイメージ出来ちゃいますよね。

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中島信也(東北新社社長)が東北新社へ就職したきっかけ

中島信也(東北新社社長)氏は大学時代から仲間と一緒に芸術活動をし、新聞広告に応募していたそうです。

それがとても高評で、クラスでは有名だったようです。

クラスの一人が電通の就職試験を受ける為、その作品を貸してほしいと依頼が来たそうですが、嫌だったので芸術活動のメンバーの一人が受けるからと断りました。

断った手前、就職試験を芸術活動のメンバーで受けることにしたそうです。

もともと美大の予備校のバイトで収入も良く、芸術活動もできていたので、就職を考えていなかった中島信也(東北新社社長)氏ですが、この出来事をきっかけに就職という道へ方向転換されていきます。

芸術活動の他の2人のメンバーは、電通と資生堂、中島信也(東北新社社長)氏は博報堂を受けることにしたました。

しかし、中島信也(東北新社社長)氏は選考途中で辞退することに。

実は中島信也(東北新社社長)氏のお父様が博報堂の大阪の営業部の本部長だったらしく、なんらかの力が加わったそうです。

その時、面接をしてくれた方から東北新社を紹介してもらいます。

中島信也(東北新社社長)氏は東北新社の創業者とあったら、「君は電通に行った方がよい」と言われ、東北新社の創業者が電通の社長に話をつけ、電通に入るところまで決まっていたそうです。

しかし、中島信也(東北新社社長)氏のお父様は博報堂、電通のライバルですからいいようには思わず、電通の入社が無くなり東北新社に入ることになりました。

因みに、芸術活動の他の2人のメンバーはそれぞれ電通と資生堂に入ったそうです。

なんかいろいろ凄すぎますね。

芸術活動をするもの凄いですし、そのメンバーも広告業界に入るし、中島信也(東北新社社長)氏は広告業界のトップ会社のどこにも内定をもらえたようなものですし、そのひと悶着も凄いですね。

中島信也(東北新社社長)氏のお父様のパワーが半端ないですね。。

 

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中島信也社長(東北新社)の経歴

中島信也社長(東北新社)の経歴についてご紹介します。

経歴

1982 年 4 月 東北新社入社
1995 年 4 月 取締役
1996 年 1 月 CM 本部企画演出部長
2003 年 6 月 取締役 兼 執行役員上席常務
2004 年 6 月 取締役 兼 上席常務執行役員
2006 年 6 月 専務取締役
2011 年 6 月 取締役専務執行役員
2015 年 6 月 取締役上席専務執行役員
2016 年 6 月 取締役専務執行役員
2019 年 6 月 取締役副社長
2021 年 2 月 代表取締役社長

引用元:東北新社

僅か13年で取締役ですから、相当なスピード昇進だったのではないでしょうか。

大学時代から一目を置かれていた中島信也(東北新社社長)氏は東北新社でもそうだったのでは、と思います。

何しろ、東北新社の創業者が「電通に行け」というくらいですからね。。

 

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中島信也(東北新社社長)のCMや映画作品

中島信也(東北新社社長)氏のCMや映画作品を一部ご紹介します。

CM作品

  • 日清食品 カップヌードル 「hungry シリーズ」(1993- 1996年)
  • 日清食品 日清ラ王 「食べたい男 シリーズ」(2014-)
  • 資生堂 ’86春のキャンペーン 「色・ホワイトブレンド」(1986年)
  • ホンダ ステップワゴン 「こどもといっしょにどこいこう。」(1997- 2004年)[5]
  • サントリー DAKARA 「小便小僧シリーズ」(2000年から数年)[5]
  • サントリー 燃焼系アミノ式 「グッパイ、運動。シリーズ(2003年)[5]
  • 日本航空 (JAL) サザンオールスターズ(2003年)[5]
  • NOVA 「異文化コミュニケーション」 :宇宙人役で声の出演もしている。
  • サントリー 伊右衛門
  • 中外製薬 グロンサン
  • 資生堂 企業CM
  • ソニー :2007年秋からの矢沢永吉出演のブルーレイレコーダー等のシリーズ。
  • Friend-Ship Project 第3弾「90秒の夫婦の絆『定年の日の妻』篇」(2008年):テレビ東京で放映された映像作品
  • ユニクロ Wide Leg Jeans
  • タンスのゲン タンスのゲン×HKT48(2013年)

 

映画作品

  • ウルトラマンゼアス(1996年)※じんましんや名義で主題歌「シュワッチ! ウルトラマンゼアス」の作詞も担当。
  • 矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜(2010年)※ミスコンの進行役で本編中にも出演。

引用元:Wikipedia

 

中島信也(東北新社社長)氏の代表CM作品の一つ日清カップヌードルです。

このCMで、1993年カンヌ国際広告祭グランプリを受賞しています。

このCMは衝撃的で、どうにしてもテレビにくぎ付けになってしまうCMでした。

 

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中島信也(東北新社社長)はとんねるずと関係?みうらじゅんも?

中島信也(東北新社社長)氏ととんねるず、みうらじゅん氏との関係についてご紹介します。

中島信也(東北新社社長)氏ととんねるずの出会いは、1989年の出光のCMだそうです。

大人気だったとんねるずにはCM撮影の時間が限られたなかできっちり、時間通りやった印象があるととんねるずは語っています。

ただCMの内容が謎でノリだけでいった感じがあったと言っています。

商品名をいうわけでもなかったようなと。

それだけ、中島信也(東北新社社長)氏のCMは一風変わっていたのでしょうね。

その後も、映画やとんねるずの番組など多数の作品で一緒になっています。

最近でもラジオで共演していますし、ずっと交友が続いているのでしょうね。

中島信也(東北新社社長)氏は、またとんえるずが出演する変なCMを作りたいと言っていました。

ぜひ実現させてほしいですね。見てみたいです!

 

続いて、中島信也(東北新社社長)氏とみうらじゅん氏との関係性です。

エッセイスト、小説家、ミュージシャン、評論家、ラジオDJ、編集長、ライター、解説者など幅広く活動されているみうらじゅん氏との関係は、大学時代の同級生です。

武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科の40人クラスで二人は一緒でした。

実は、工業デザイナーやカーデザイナーとして有名な奥山 清行(おくやま きよゆき)氏も同級生です。

3人で一緒にお酒を飲んだり、遊びに行ったり、旅行に行ったり、ヤンチャしたりしたそうです。

ただ、3人とも性格が全く違ったそう。

因み、中島信也(東北新社社長)氏とみうらじゅん氏は大学時代に即席ディオ「野球」を結成し、何曲か録音をしたこともありました。

しかし、中島信也(東北新社社長)氏はポップ、みうらじゅん氏はフォークと音楽の好みが全く違い合わなかったとも。

 

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中島信也社長(東北新社)のプロフィール

中島信也社長(東北新社)氏のプロフィールについてご紹介します。

 

プロフィール

名前:中島信也(なかじま しんや)

生年月日:1959年1月15日

年齢:62歳(2021年3月時点)

出身地:福岡県八女市生まれ、大阪育ち

職業:日本のCMディレクター、映画監督、ミュージシャン、東北新社代表取締役社長

 

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まとめ

総務省への接待問題で話題の東北新社の社長になった中島信也氏の学歴や経歴、CM映画作品、とんねるずとの関係、そしてプロフィールをご紹介しました。

学生時代から凄いかたで、社会では広告業界の最前線を走っている方でした。

大阪育ちということもあって、とてもユーモアに溢れつつ、しっかりと考えのある方なので、15秒や30秒という限られた短い時間の中でインパクトのあるメッセージを伝えることが出来るのではと思います。

東北新社は今回の接待問題でがけっぷちに立っていますが、今後の中島信也社長(東北新社)氏と東北新社の動向に注目です。

 

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