2021年の夏の甲子園(第103回全国高校野球選手権大会)も大詰めを迎えています。
名門の強豪校が何校か勝ち上がってきましたね。
その内の一校が高知県代表の明徳義塾高校です。
明徳義塾高校のまとめるのが米崎薫暉主将で、お父様は元プロ野球でお兄様も元高校球児だとか。
そこでこの記事では「米崎薫暉(明徳義塾)父はドラ1元プロ野球選手で兄も凄い!中学プロフィール」と題し、ご紹介します。
この記事の内容
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の父はドラ1元プロ野球選手
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の兄
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の出身中学&クラブチーム
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の打率
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の身長プロフィール
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の父はドラ1元プロ野球選手
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の父は、ドラフト1で元プロ野球選手のようです。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の父は、ドラフト1で元プロ野球選手
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の父は、ドラフト1で近鉄バッファローズに入団した元プロ野球選手です。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)のお父様、米崎薫臣(くんじ)さんは、大阪府の強豪校、此花学院高校(現:大阪偕星学園高校)出身です。
高校卒業後は、社会人野球の日本生命へ入社しました。
インターコンチネンタルカップ(1987年)、ワールドカップ(1988年)、ソウルオリンピック(1988年)にそれぞれ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダルを受賞しました。
1988年にドラフト1で近鉄バッファローズに入団し、その後阪神タイガースに移籍、怪我で思うような結果が残せず、1998年に引退しました。
ポジションは主に遊撃手を行い、強肩として守備に定評がありました。
現在は茨木ナニワボーイズでコーチとして指導しています。
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の兄
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の兄についてご紹介します。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の兄
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の兄も元高校球児でした。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)には4学年上にお兄さん、米崎薫駄さんがいます。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)のお兄さん、米崎薫駄さんも高校球児で、大阪の名門校、履正社高校の野球部でした。
小学生の頃から野球を始めるも、はく離骨折した右肘の痛みがなかなかひかない小学生時代を送りました。
高校は強豪校の履正社高校へ進学しますが、鼻を陥没骨折したりと怪我に悩まされた野球人生だったようです。
高校卒業後は、大学に進学されたようです。
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)出身中学/クラブチーム
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)出身中学やクラブチームについてご紹介します。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)1番捕手の出身中学やクラブチーム
出身中学校:豊中市立第十五中学校
クラブチーム:茨木ナニワボーイズ
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の出身中学校は、豊中市立第十五中学校です。
豊中市立第十五中学校は、大阪府豊中市にある公立中学校です。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)は中学時代、中学校の野球部に所属せず、地元のクラブチームに所属していました。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)が所属していたクラブチームは、茨木ナニワボーイズです。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)のお父様がコーチを務めている茨木ナニワボーイズですね。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)は小学生の時に野球を始め、小学生時代は新芦屋ドラゴンズに所属していました。
茨木ナニワボーイズを経て中学校を卒業した後、明徳義塾高校に進学しました。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)はお父様、米崎薫臣さんと同じポジションの遊撃手です。
明徳義塾高校では1年生の夏から遊撃手のレギュラーを獲得し、1年生の時から甲子園に出場しています。
米崎薫暉(明徳義塾/高知県)の打率や身長プロフィール
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の打率や身長プロフィールについてご紹介します。
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)の打率や身長プロフィール
名前:米崎薫暉
読み方:よねざき くんが
出身:大阪府
生年月日:2003年度
年齢:18歳(2021年度)
身長:173cm
打率:.235(高知県地方大会)
ポジション:遊撃手
投打:右投右打
米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)は主将としても1番打者としても、遊撃手としてもチームをけん引し、高知県大会で優勝に導きました。
特に守備はお父様譲りで、守備範囲が広く強肩で安定した守備は滝亜評価を得ています。
まとめ
高知県代表、明徳義塾高等学校の米崎薫暉主将について、父親や兄、出身中学と地方大会成績、打率と身長プロフィールなどをご紹介しました。
攻走守揃った米崎薫暉主将(明徳義塾/高知県)が甲子園でどのような活躍をみせてくれるのか注目ですね。