オリンピック中止の違約金に関して話題の武藤敏郎事務総長。
武藤敏郎事務総長の経歴や家族について調べてみらた、かなりのエリートのようです。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長になったのも、輝かしい経歴によるものかもしれません。
そんな武藤敏郎事務総長について、この記事では「武藤敏郎事務総長の経歴/評判や家族(妻,息子,娘,兄弟)は?オリンピック中止の違約金は?」と題し、ご紹介します。
この記事の内容
武藤敏郎事務総長の経歴
武藤敏郎事務総長の顔画像
武藤敏郎事務総長の評判
武藤敏郎事務総長の家族(妻,息子,娘,兄弟)は
オリンピック中止の違約金は?
武藤敏郎事務総長の経歴/顔画像
武藤敏郎事務総長の経歴/顔画像についてご紹介します。
武藤敏郎事務総長の経歴
1943年7月2日 – 埼玉県浦和市生まれ
1962年3月 – 私立開成高等学校卒業
1965年 – 国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格
1965年 – 司法試験第二次試験合格
1966年3月 – 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業
1966年4月 – 大蔵省入省。大臣官房文書課配属。
1968年4月 – 大臣官房調査企画課
1969年4月 – 関税局企画課係長
1971年7月 – 彦根税務署長
1972年7月 – 銀行局特別金融課課長補佐
1973年7月 – 銀行局総務課課長補佐
1974年7月 – 外務研修
1975年5月 – 在米国日本国大使館二等書記官
1976年4月 – 在米国日本国大使館一等書記官
1978年7月 – 主計局主計官補佐(地方財務第一、第二、補助金担当主査)
1980年7月 – 主計局主計官補佐(文部第一、第二、第三担当主査)
1982年6月 – 石川県商工労働部長
1982年12月 – 石川県総務部長
1984年7月 – 主計局主計官(文部・科学、文化係)
1986年6月 – 主計局主計官(建設、公共事業係)
1988年6月 – 銀行局中小金融課長
1990年6月 – 大臣官房秘書課長
1992年6月26日 – 主計局次長(末席)
1993年6月25日 – 主計局次長(次席)
1994年7月1日 – 主計局次長(首席)
1995年5月26日 – 大臣官房総務審議官
1997年7月15日 – 大臣官房長
1998年5月19日 – 大臣官房総務審議官
1999年7月8日 – 主計局長
2000年6月30日 – 大蔵事務次官
2001年1月6日 – 財務事務次官 / 大蔵事務次官から改称
2003年1月14日 – 財務省顧問
2003年3月 – 日本銀行副総裁
2008年6月 – 東京大学先端科学技術研究センター客員教授
2008年7月 – 株式会社大和総研理事長
2009年4月 – 開成学園理事長・学園長
2009年6月 – 住友金属工業株式会社監査役
2010年6月 – 三井物産株式会社取締役
2012年10月 – 新日鐵住金株式会社監査役
2014年1月 – 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長
2018年7月 – 株式会社大和総研名誉理事
引用元:Wikipedia
武藤敏郎事務総長は、1943年7月生まれの埼玉県浦和市出身、2021年5月時点の年齢は77歳です。
武藤敏郎事務総長の出身高校は、全国的に有名な開成高校でその後、東京大学へ進学します。
在学中に、国家公務員採用上級甲種試験(法律)と司法試験第二次試験に合格し、官僚という道と司法の道(弁護士、検察官、裁判官)のどちらの資格も手に入れています。
東京大学卒業後は官僚の道を選択し、現在の財務省と金融庁の前身であった大蔵省に1966年に入省。
地方の税務署長や海外の大使館、県などの地方自治体など中央官庁以外の経験を経て、官僚の最高クラス大蔵省/財務省の事務次官まで上り詰めています。
その後は、財務省顧問を経て、2003年には日本銀行の副総裁に就任。
その他にも教育機関の教授や一般企業の理事や役員も歴任されています。
2014年には、 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長にも就任しています。
「チケット収入900億円が吹き飛ぶ。増収努力、歳出削減ではカバーできないことは明らか。これをどのように負担するのかという議論になる」(組織委事務総長の武藤敏郎氏、3月22日)
「都と国の失政のツケを国民に押し付けることは断固、お断り!スポンサー大企業の法人税増税などにより賄うべき!」 pic.twitter.com/CzwaJeG69O
— りょう(脱原発に一票チーム京都二区) #相互フォロー募集中 (@Ryohhei039724Rs) March 23, 2021
武藤敏郎事務総長の評判
武藤敏郎事務総長の評判についてご紹介します。
武藤敏郎事務総長の評判については、主にSNSでの投稿を基にまとめました。
武藤敏郎事務総長の評判
- 事務総長は、官僚気質なのだろうか?記者に言質をとられない。国民に理解してもらう意識がはなから欠けている。
- 人選が間違っている
- 万が一を想定して考えることも出来ない上層部は無能なの?
- お仕事をしてください。
- 一部のオリンピック利権の恩恵を受ける人間のために、こんなに国がボロボロになるなんて
- 国債30兆円枠を敢行したのは武藤敏郎氏だった。おかげで日本のGDPは低成長に…キャリアの総仕上げは五輪なのか?せめて財務事務次官で引退してほしかった
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長を務めている武藤敏郎事務総長は、「IOCと中心の議論はなかった」と会見したことについての不満が多く見られました。
特に、世論の意見と東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の意見の相互があることが、武藤敏郎事務総長の評判にも繋がっているようです。
武藤敏郎事務総長の家族(妻,息子,娘,兄弟)は
武藤敏郎事務総長の家族(妻,息子,娘,兄弟)についてご紹介します。
妻:直子さん
息子:2人
娘:ー
兄弟:3人の兄と2人の姉
武藤敏郎事務総長の妻は、直子さんで、旧姓は橋口です。
武藤敏郎事務総長の妻である直子さんの父は、橋口収氏で、武藤敏郎事務総長の先輩/上司にあたる東京大学卒業で大蔵省の官僚です。
主計局長や国土庁事務次官を歴任した後、広島銀行の頭取も務めています。
武藤敏郎事務総長は、妻の直子さんとの間に息子さんが2人いらっしゃいます。
武藤敏郎事務総長には、娘さんはいないようです。
武藤敏郎事務総長の息子さん2人について調べましたが、明らかな情報はありませんでした。
武藤敏郎事務総長は、4男2女の末っ子として、浦和市の市議や収入役などを務めた武藤公吉氏の父のもとに産まれました。
武藤敏郎事務総長の一番上の兄の哲夫氏は、埼玉県医薬品小売商業組合理事長を務められています。
武藤敏郎事務総長の二番上の兄の博氏は、埼玉県上福岡市の市長を務められました。
その他の兄弟に関する情報はありませんでした。
オリンピック中止の違約金は?
オリンピック中止の違約金についてご紹介します。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の主要人物である武藤敏郎事務総長は、オリンピック中止の違約金について以下のように言っています。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会
武藤敏郎事務総長
5/5の #WBS では違約金無いと言ったはず。@wbs_tvtokyo @yoichitakita @hitkurasawa @nobusaitoh @mainichi https://t.co/EwDCm1vGTi— 築地の白うさぎ・東京都知事選挙2020/7/5???????? (@tsukijiusagi) May 13, 2021
こちら↓がWBSで武藤敏郎事務総長が「違約金」について言及したものです。
pic.twitter.com/kBa8WNL5qP
5/5のワールドビジネスサテライトで東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長が「IOCへの違約金はない」と断言したとの報道。#東京五輪の中止を求めます #看護師の五輪派遣は困ります— テム (@tem_fsEdwxWAc) May 14, 2021
違約金がないと言ったことがまずかったために、違約金に関する発言の内容が変わったのでしょうか。
まとめ
オリンピック中止の違約金の件で再び話題の武藤敏郎事務総長について、経歴、評判、家族(妻,息子,娘,兄弟)をご紹介しました。
もともと問題続きだった東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、国民の意見、世論とも相違がみられ、どうするのでしょうか。
IOCではなく国内に目を向けてほしいものです。