東京オリンピック2020では強豪フランスに打ち勝ち、銀メダルを獲得したバスケットボール女子日本代表。
そのチームを率いるのはトム・ホーバス監督(ヘッドコーチ)です。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)はどのような経歴をお持ちで日本代表監督の就任に至ったのか、そして日本語スキルなど気になります。
そこでこの記事では「トムホーバス(バスケ女子日本代表監督)家族/妻や日本語は?異色の経歴やプロフィール」と題し、ご紹介します。
この記事の内容
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の家族/妻
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は日本語が喋れる?
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の異色の経歴、FBI?
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)のプロフィール
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の家族/妻
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)の家族や妻がいるのか、どんな人なのか調べてみましたので、ご紹介します。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の家族/妻
日本人と結婚し、2人のお子さんがいます。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)は、1990年に日本人女性と結婚し、2人のお子さんがいます。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)の奥様は日本人のエイコさんです。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)と奥様のエイコさんとの出会いは、六本木でのナンパとも言われています。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)のお子さんは2人いて、息子さんと娘さんがいらっしゃいます。
2021年時点ではおそらくお二人とも20代のようです。
2010年代後半には、トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)のお子さん2人はアメリカの大学に通っていました。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)の息子さんは、ニューヨーク州のオールバニー大学に通っていました。
そして娘さんはカリフォルニア大学サンタバーバラ校に通っていました。
2021年現在は、何をされているのかはわかりませんでしたが、お二人とも州立大学に通っていたことから、優秀なのかもしれません。
SNSなどで家族の写真はありませんでした。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)は凄くチームメイトを大切にする方ですので、きっとご家族も凄く大切にされていると思います。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は日本語が喋れる?
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は日本語が喋れるのでしょうか。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は日本語が喋れる
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は日本語がとても上手です。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の経歴で触れますが、日本での生活が長いこと、日本人の奥様やお子さん家族とは日本語で基本的にお話されていて、日本語がとてもお上手です。
何より、トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)は、選手に通訳なしでダイレクトに伝えたいという思いがあり、一生懸命日本語を勉強されました。
選手に通訳を通してコミュニケーションをするのと、通訳なしで直接、下手でも自分の言葉で伝えるのではインパクトが違うと思ったそうです。
以降、選手にもチームスタッフにも、記者会見でも、日本語で自分の言葉で話すようにしました。
しかし、日本語スキルが乏しく直接的な言葉を使ってしまい、選手に恐れられてしまう事もあり、更に日本語に磨きをかけました。
語彙力や表現の幅を広げる為に、自身のスマートフォンに日本語アプリを入れて、自宅でも日本語を学ぶ本を買って勉強に勤しんだそうです。
もちろん練習前後には選手やスタッフと積極的にコミュニケーションをとり、関係性を深め、日本語スキルを身に着けていきました。
トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)は、日本のバスケット界に育ててもらったから、日本に恩返しがしたいという思いが強く、バスケットボール女子日本代表監督を務められています。
その為、トム・ホーバス氏(バスケ女子日本代表監督)は日本人より日本人っぽく、日本愛の強い方なのです。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の異色の経歴,FBI?
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は異色の経歴をもっていたのでご紹介します。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は異色の経歴?
選手としての経歴
5歳の頃バスケットボールを始める
ペンシルベニア州立大学卒業後、ポルトガルリーグのスポルティングでプレー
1990年、日本の実業団リーグ、トヨタ自動車に入団し、リーグ得点王(4年連続)や3ポイント王(2年連続)を受賞
1994年、NBAアトランタ・ホークスに所属し、2試合に出場
1995年、独立リーグCBA・ピッツバーグ・ピラニアズでプレー
2000年、トヨタ自動車へ再入団
2000年、東芝に移籍し、1シーズンプレーし選手として引退
アメリカへ戻り、FBIへ就職する可能性もあったが、一般企業へ就職
仕事の合間に高校生のバスケットボールのコーチを務める
指導者としての経歴
2010年、日本女子WリーグのJXサンフラワーズのコーチに就任
2011年、女子日本代表アシスタントコーチに就任
2012年、WNBAフェニックス・マーキュリーのボランティアアシスタントコーチ
2014年、JXアソシエイトヘッドコーチ(AHC)に昇格、新体制の女子日本代表でもアシスタントコーチに就任
2016年、JXのヘッドコーチ(HC)に昇格、Wリーグ2016-17シーズン、コーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞
2017年、女子日本代表ヘッドコーチ(監督)に就任(現任)、FIBA女子アジアカップ2017大会で優勝
2019年、FIBA女子アジアカップ2019大会で優勝、
2018年、ワールドカップ出場
2021年、東京オリンピック2020にもヘッドコーチ(監督)として指揮を執る
2021年9月、バスケットボール男子日本代表ヘッドコーチに就任
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)は、1967年にアメリカコロラド州に生まれました。
アメリカの人気スポーツの一つバスケットボールを5歳の頃に始め、バスケットボールの最高峰、NBAを当然のように夢に描きます。
NCAA1部のペンシルベニア州立大学まで行くも、狭き門のNBAに入ることは出来ず、ポルトガルに渡ります。
しかし、文化や食事など慣れない環境に馴染めず、仕事をしながらバスケをと思っていた時に丁度日本のトヨタ自動車からオファーが来ます。
これまで専業としてバスケットボール選手をしていましたが、当時の日本バスケットボール界にはプロリーグは存在せず、トヨタ自動車の実業団で昼間は仕事、それ以外はバスケという生活を送っていました。
日本リーグの初シーズンから結果を残し、4年連続リーグ得点王、2年連続3ポイント王を受賞しています。
そして1994年に幼少期から夢見ていたNBAのアトランタ・ホークスに所属し、2試合ですが出場しています。
1995年にはアメリカの独立リーグでプレーするも翌年トヨタ自動車に再入団、東芝を経て選手を引退しています。
選手を引退してからは、アメリカに戻りFBIへなる可能性もありながらも、一般企業のIT系の会社へ就職し、副社長まで務めます。
仕事の合間をぬって、高校生のコーチとして指導していると、日本女子WリーグのJXサンフラワーズからコーチのオファーがあり就任。
2011年、女子日本代表アシスタントコーチに就任し、アシスタントヘッドコーチを経て2017年にはヘッドコーチ(監督)に就任しました。
バスケットボール女子日本代表において、外国人ヘッドコーチ(監督)は史上初めてです。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)が幼少期から夢見ていたNBA選手になれたのも日本のお陰だと言っています。
NBAを目指し、ポルトガルを移籍するも上手くいかず、そこで日本の実業団トヨタ自動車がオファーをしてくれたおかげで、夢だったNBAへ繋がることが出来たと。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の経歴を見ても日本で指導者になる前には、一般企業で副社長の地位まで上り詰めたわけですから、正直そこにとどまることも選択として十分あったと思います。
しかしその地位があっても日本のために恩返しがしたいという気持ちが強く、日本での指導者としてのキャリアをスタートさせました。
東京オリンピック2020では予選でも決勝でも、トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)の母国アメリカとの対戦でした。
2試合とも負けてしまいましたが、日本女子バスケットボールに大きな布石を投じた大会になったのではと思います。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)にはこのまま継続し、アメリカ代表にリベンジを果たしてほしいと思っていたのですが、2021年9月に男子日本代表のヘッドコーチにトム・ホーバス氏は就任しました。
これから男子バスケットボール日本代表の新たな歴史をつくってくれそうですね。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)のプロフィール
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)のプロフィールについてご紹介します。
トム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)のプロフィール
名前:トム・ホーバス(Tom Wayne Hovasse
出身:アメリカ合衆国コロラド州
生年月日:1967年1月31日
年齢:54歳(2021年7月時点)
身長:203cm
職業:バスケットボール女子日本代表監督
まとめ
バスケ女子日本代表監督を務めるトム・ホーバス氏について、家族/妻や日本語、異色の経歴やプロフィールをご紹介しました。
2017年と2019年にアジアカップで優勝、そして東京オリンピック2020では銀メダルに導いたトム・ホーバス(バスケ女子日本代表監督)。
バスケットボール日本代表の監督を継続し、今後もさらなるに歴史的勝利を見せてほしいですね。