甲子園やプロ野球を目指した野球少年が沈没船の調査研究をする世界的権威として注目されています。
英語が全くできない状態から単身で渡米し、夢中に研究し沈没船復元再構築の新しい方法を開拓。
その人物が水中考古学者の山舩晃太郎氏です。
山舩晃太郎氏がどのような人物なのか気になりますね。
そこでこの記事では「山舩晃太郎(水中考古学者)の出身高校や経歴は?野球から英語ゼロで渡米し沈没船へ」と題し、ご紹介します。
この記事の内容
山舩晃太郎(水中考古学者)の出身高校
山舩晃太郎(水中考古学者)の経歴
山舩晃太郎(水中考古学者)のプロフィール
山舩晃太郎(水中考古学者)の出身高校や大学
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の出身高校や大学についてご紹介します。
山舩晃太郎(水中考古学者)の出身高校や大学
出身高校:法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)
出身大学:法政大学 文学部史学科
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の出身高校は、法政大学第一高等学校です。
法政大学第一高等学校は東京都三鷹市にある法政大学系列の私立高校です。
法政大学第一高等学校は2007年から校名が変わり、法政大学高等学校になっています。
校名が変わった同時期に学校の場所も変わっており、以前は武蔵野市にありました。
中高一貫校でもあり、中学校から入る生徒と高校から入る生徒がいるようです。
スポーツに力を入れており、特に硬式野球部やラグビー部は全国的にも有名で知られています。
山舩晃太郎氏(水中考古学者)は、法政大学第一高等学校の硬式野球部に所属していました。
スポーツ推薦で法政大学第一高等学校へ進学したようで、当時は相当の実力だったことが伺えますね。
法政大学第一高等学校の硬式野球部で甲子園を目指していた山舩晃太郎氏(水中考古学者)ですが、高校2年生の時に肘を壊してしまいます。
必死のリハビリをするも甲子園に立つこともベンチ入りすることもできませんでした。
法政大学第一高等学校を卒業後、山舩晃太郎氏(水中考古学者)は法政大学へ進学します。
法政大学第一高等学校の8割から9割が法政大学へ進学するようで、山舩晃太郎氏(水中考古学者)もその流れに乗ったのかもしれませんね。
野球への思いを諦めきれず、法政大学入学後は野球部に所属します。
大学の野球部に野球推薦で入ってくるメンバーとのレベルの差は歴然でしたが、努力すれば大丈夫との思いから必死に練習に明け暮れる最中、肘の怪我が再発。
何とか投げられるようになるもできてバッティングピッチャー。
入部してくる下級生たちの能力の高さに野球の道をあきらめ、4年生に進学する際に籍は残したまま引退をしました。
法政大学では文学部史学科を専攻し、ゼミではローマ史学者として知られる後藤篤子の西洋古代史に入ります。
卒業論文の準備をしている際に山舩晃太郎氏(水中考古学者)は運命の一冊の本に出会います。
それがアメリカ考古学者ロバート・フォーレスト・バージェスの著書「海底の1万2000年―水中考古学物語」です。
もともと映画の「グラン・ブルー」が好きで海に憧れがありました。
山舩晃太郎氏(水中考古学者)は幼い頃から読書好きでとくに考古学には興味を持っており、海と考古学が合わさった、水中考古学の存在を知った時は、運命だったと振り返っています。
それ以降、山舩晃太郎氏(水中考古学者)は水中考古学に向けて行動を移します。
山舩晃太郎(水中考古学者)の経歴
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の経歴についてご紹介します。
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の経歴
テキサスA&M大学併設の語学学校で英語を学ぶ
テキサスA&M大学大学院 文化人類学科船舶考古学専攻へ入学
2012年、修士号を取得
2016年、博士号を取得(船舶考古学博士)
博士論文が水中考古学の最高峰の学会で絶賛される
フォトグラメトリを用いて沈没船復元再構築の新しい方法切り開く
世界中の沈没船を世界中の研究者と一緒に研鑽したいと、個人で活動
著書「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」を出版し、水中考古学の認知度を上げるために講演などの活動にも注力
水中考古学についてもっと知るために大学図書館に世界中から図書を取り寄せてもらいます。
英語が苦手だったこともあり、写真や図を中心に眺めていると、ほとんどの写真に「Texas A & M」という記載を見つけます。
Texas A & Mは、Texas Agricultural&Mechanical universityの略でテキサス農工大学で水中考古学で世界的に最先端の研究を行っている大学です。
英語が全くできない山舩晃太郎氏(水中考古学者)は、アメリカの大学は雲の上の存在でもあり、国内の水中考古学のある大学院を探していました。
その時にまた運命の著書に出会います。
それが井上たかひこ氏の著書「水中考古学への招待 海底からのメッセージ」です。
著者である井上氏の自伝のような内容で、井上氏は英語が苦手でしたが40歳を過ぎてからテキサスA&M大学院へ留学、水中考古学の修士号を取得していることを知りました。
当時まだ20代前半の山舩晃太郎氏(水中考古学者)は、自分でもできるのではという気持ちが芽生えたと同時に、野球での挫折があり今度こそという思いも強くありました。
両親も後押ししてくれたこともあり、テキサスA & M系列の語学学校へ入学。
住居も準備せずに渡米したり、語学学校での英語の壁、大学へ仮入学できたものの大学の授業が全く分からず。。
など数々の壁を乗り越えながら、水中考古学に夢中になり必死で研究に明け暮れます。
成績が突出して良かったわけではありませんでしたが、研究に打ち込む姿勢が評価されてか大学院生2年生になってからは、助手に選ばれています。
博士論文ではフォトグラメトリを用いた沈没船復元再構築の新しい方法切り開き、水中考古学の最高峰の学会で絶賛され、世界的に注目される研究者となりました。
世界各地の沈没船を多くの研究者と一緒に深めていきたいという思いから、団体には属せず、個人として活動をしています。
山舩晃太郎(水中考古学者)のプロフィール
山舩晃太郎氏(水中考古学者)のプロフィールについてご紹介します。
山舩晃太郎氏(水中考古学者)のプロフィール
名前:山舩晃太郎
読み方:やまふね こうたろう
出身:秋田県
生年月日:1984年3月21日
年齢:37歳(2021年)
職業:
合同会社アパラティス代表社員
テキサスA&M大沈没船復元再構築研究室研究員
東京海洋大学・講師(非常勤)
エクスタナード・デ・コロンビア大学・外国人特別客員教授
九州大学 (浅海底フロンティア研究センター) 共同研究企業代表
まとめ
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の出身高校、野球から英語ゼロで渡米し沈没船の研究者になった経歴とプロフィールをご紹介しました。
好きなことにのめり込む人には自然と素敵な出会いもあり、きっと一生懸命な姿は人を引き付けるのでしょうね。
山舩晃太郎氏(水中考古学者)の研究で水中考古学や沈没船に興味を持つ人が更に増えていきそうですね。