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山田太郎議員(子ども庁発起人)本名は?学歴や経歴がヤバい!戦闘力53万で有能?

急遽、自民党が「子ども庁」創設を打ち出しましたね。

子どもに関連することを一元化し、全て子ども庁で手続等を完結できるようにと言っています。

これまで子どもに関する政策は、厚生労働省、文部科学省、内閣府と別れていたことをまとめようとしています。

自民党の「子ども庁」検討本部の自民党トップは二階幹事長になり、なぜ二階幹事長なのかという声も聞こえてきます。

菅首相もメディアや報道でも「子ども庁」について言及しており、「子どものは国の宝…」と言っています。

次期選挙の公約の目玉とし、選挙のための「子ども庁」であることが明らかな感じがしますが、以前から子ども庁の創設を言っていた人物がいます。

それは山田太郎参議院議員です。

その山田太郎参議院議員について調べてみましたので、ご紹介します。

この記事の内容

山田太郎議員(子ども庁発起人)の本名

山田太郎議員(子ども庁発起人)の学歴

山田太郎議員(子ども庁発起人)の経歴

山田太郎議員(子ども庁発起人)の戦闘力は53万で有能?

 

山田太郎議員(子ども庁発起人)の本名

山田太郎議員(子ども庁発起人)の本名についてご紹介します。

山田太郎議員の本名は、山田太郎(やまだ たろう)です。

ご本人も山田太郎議員の公式ツイッターで言及しています。

おそらく名前が「山田太郎」とよく記入例に出てくるような名前なので、本名なのかという疑問を持つ方がいるからではないかと思われます。

 

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山田太郎議員(子ども庁発起人)の学歴

山田太郎議員(子ども庁発起人)の学歴についてご紹介します。

山田太郎議員(子ども庁発起人)の学歴

小学校:東京都大田区立久原小学校

中学校:麻布学園麻布中学校

高校:麻布学園麻布高等学校

大学:慶應義塾大学経済学部経済学科

大学院:早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得満期退学

山田太郎議員は、地元の区立久原小学校へ通っていました。

その後、中学受験し中高一貫校の私立麻布学園麻布中学校へ進学します。

高校もそのまま進み、麻布高校へ進みました。

自主・自立の校風の下、学園生活の大部分で生徒が「自分で考えさせる」ことが重視している学校の為、校則がありません。

中高一貫校を生かし、高校1年生の段階で高校2年生までの内容を終わらせ、その後は、志望する大学に合わせた試験勉強に集中します。

卒業生のほとんどが、東大や早慶など難関大学へ進み、東京大学への進学割合が高いようです。

麻布中学高校は、政界、学界、財界、芸能界など各界に著名人を輩出しています。

山田太郎議員は、麻布高校を卒業し、慶應義塾大学へ進学しています。

大学時代は、世界50か国以上を旅行する程はまり、帰国できずに留年を繰り返したそうです。

一方で、TBSのラジオ制作に学生時代から携わっており、NHKのディレクターの内定をもらっていたそうですが、他社に就職しました。

一度社会人となったあとに、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程に進まれていますが、単位取得満期退学となっています。

校則がない自立心が問われる環境に身を置いたからこそ、様々な経験から学んだことが今に繋がっているのではと思います。

 

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山田太郎議員(子ども庁発起人)の経歴

山田太郎議員(子ども庁発起人)の経歴についてご紹介します。

山田太郎議員(子ども庁発起人)の経歴

<実業家>

アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)に入社

バーンジャパンに入社

プライスウォータハウス(現・日本IBM)に入社

パラメトリック・テクノロジー・コーポレーション米国本社副社長(米国NASDAQ上場企業)

2001年 ネクステック株式会社 代表取締役社長(CEO・創業社長)

2005年3月 同社 東京証券取引所マザーズ市場上場

<教育者>

東京大学 大学院工学系研究科 非常勤講師

早稲田MBAスクール客員准教授(早稲田大学 大学院商学研究科ビジネス専攻)

東京工業大学 大学院社会理工学研究科 特任教授

<政治家>

2010年 第22回参議院議員通常選挙に「みんなの党」の比例代表で落選

2012年 第46回衆議院議員総選挙の比例区で当選

2013年 副幹事長・政策調査会副会長に就任、併せて政策調査会・経済財政部門(金融財政・農林水産・経済産業・国土交通分野)部門長兼務

2014年 みんなの党が解党

2015年 「日本を元気にする会」の結党に参加し、政調会長・幹事長代行に就任

2016年 「日本を元気にする会」を離党、「おおさか維新の会」入党するも除名
    「新党改革」から比例区公認候補として立候補するも、落選

2019年 第25回参議院議員通常選挙の「自由民主党」比例区候補で当選

 

山田太郎議員の経歴は、実業家、教育者、政治家という3つの顔も持っています。

実業家として成功した後、それを教育者として次世代へ伝承し、そして政治家として国民の為に働きかけています。

まずは実業家として一歩は、慶応大学卒業後、コンサルティング会社へ就職します。

その後、数々の企業を転職し、技術経営/PLM(プロダクト・ライフサイクル・マネジメント)を確立します。

アメリカ企業での経験もある他、自身で起業した会社、ネクステック株式会社は僅か4年でマザーズ上場を果たします。

教育者として、学生として通われた早稲田大学の他、東大や東工大でも教鞭を執っています。

2010年には政界へ入り初選挙は落選しましたが、次選では見事初当選します。

参議院議員の1期目の途中で党をいくつか移ります。

2期目の選挙に備え「おおさか維新の会」へ入党をしますが、党との選挙の意向が合わず、離党届を出すも離島ではなく除名を受けます。

最終的に「新党改革」から比例区公認候補として立候補するも落選し、参議院議員2期連続はなりませんでした。

そして、第25回参議院議員通常選挙の「自由民主党」比例区候補で当選し、現任の2期目参議院議員として様々な政策に参画されています。

 

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山田太郎議員(子ども庁発起人)の戦闘力は53万で有能?

山田太郎議員(子ども庁発起人)の戦闘力は53万で有能なのでしょうか。

山田太郎議員は、参議院議員2期目に当選した第25回参議院議員通常選挙では、「53万票と党内最多得票」を目標に掲げています。

アニメ好きである山田太郎議員は、アニメドラゴンボールに因んで、得票率を戦闘力と表現して話題になりました。

更に同選挙では、れいわ真選組から出馬した名前が1文字違いの「山本太郎」氏と票の数え間違いが富士宮市で発生し、山田太郎議員は0と当初は発表されました。

票の数え間違えが発覚し、山本太郎氏の得票とされていたうち515票が山田太郎議員の得票であるとが明らかになると更に戦闘力が上がったと山田太郎議員はツイートしています。

 

山田太郎議員は、いち早く子ども庁の必要性を言及した人物です。

2016年2月19日には「こども庁」創設の要望書を当時の世耕弘成(せこう ひろしげ)官房副長官に提出しています。

当時の官房長官は、現在の菅首相ですので、山田太郎議員が提出した「こども庁」創設の要望書を温めていたのかもしれません。

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まとめ

「子ども庁」の発起人と言われる山田太郎参議院議員について、本名や学歴、経歴そして戦闘力53万をご紹介しました。

ずっと山田太郎議員が考えてきた子ども庁創設が実現化するのは嬉しいですが、選挙のためではなく、国民のために有効に機能するようになることを期待します。

 

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